停電疲労

2025年1月31日

 女性詩人Mから花メール(ミャンマー便り24年8月30日参照)が途絶えて数日、「ごめん、停電だった」と書いてきた。亡き詩人L(便り22年5月30日参照)の妻も、「朝1時に電気が来たら、水を溜めて洗濯、炊事、携帯の充電、アイロンかけ、、、昼夜逆転で体がついていけません」という。物価高騰、徴兵目的の若者拉致、犯罪増加のヤンゴンで、1月5日から毎日16時間の停電が始まった。郡区内を通りに応じて3グループに分け、グループAは、29日朝 5時から 9時と夕方 5時から 9時、30日朝1時から5時と午後1時から5時に配電という具合だ。停電中L宅では、隣接の大型店舗の発電機の振動が屋内に伝わって騒々しく、止まれば異臭が漂い、落ち着く暇もないらしい。
 停電疲労は今に始まったことではない。モウモウ〈インヤー〉(1945-90)の中編「その日電気が来なかった」(1983年12月)と短編「その日電気が来た」(1987年9月)が脳裏をよぎる。前者は40代女性教師の視点で、大学の同級生たちの変貌を描く中に、停電中の暗い店内で品物選びに四苦八苦する場面が挿入される。後者は、作者の分身と思しき主婦作家の視点で、3日続きの停電後、いつ到来するか定かではない電気を待ち焦がれる人々の諸相を活写する。
 二つの作品を併せ読めば、第一に、両者の間に横たわる4年の歳月におけるビルマ式社会主義(1962-88)経済の大幅な凋落が見て取れる。第二に、彼らの検閲が停電の描写を見逃したことも注目に値する。その後の軍事政権(1988-2011)の検閲は、停電はじめ様々な日常の細部の描写にも目を光らせた。そして現在の「国軍」という名の利権的暴力集団は、「アウンサンスーチー政権下(2015-2021)では停電がなかった」とSNSで語ったヒップホップ歌手まで懲役20年に処する(便り23年9月4日参照)有様だ。軍事政権時代も停電は日常化していたが、政権幹部居住地域だけは電気が来た。今回の停電は平等に訪れる。経済活動への影響も深刻だ。地方ではさらに、インターネット遮断や空爆も加わり、辛酸は筆舌に尽くしがたい。
 さて新年早々、1月4日の第77回独立記念日の恩赦で5864名が釈放された。「国軍」報道官は政治囚600名解放予定と告げたが、実際は150名程度にとどまった。2025年内に選挙実施を目指す「国軍」が昨年末に発表した国勢調査暫定結果では、調査人口が国民の4割にとどまった。選挙実現を求める中国外務省は20日、自ら仲介の結果シャン州でコウカン族のMNDAA(ミャンマー民族民主同盟軍)と「国軍」の停戦が実現したと報じた。
 MNDAA同様北部三兄弟同盟(便り2023年11月20日、同12月25日参照)に属するパラウン族のTNLA(タアン民族解放軍)の総司令官は、12日の第62回タアン民族革命記念日に、2025年には団結して軍事独裁を打倒すると述べた。シャン州内の彼らの支配地域は激しい空爆を受けている。1日から20日までの「国軍」の全土への空爆は30回に及ぶ。一方、三兄弟同盟のAA(アラカン軍)はラカイン(アラカン)州境を超え、隣接のエーヤーワディー、マグエー、バゴウなど、ビルマ族居住地域に粛々と進撃中だ。
 「国軍」関係者も辛酸をなめる。18日のラカイン州への空爆では、AAの捕虜となっていた「国軍」兵士とその家族28名が死亡した。家族は解放される予定だった。強制徴兵で戦場に送られた若者が、薬物を投与されて戦闘に臨み、戦死するケースも多い。戦死が家族に通知されない場合もある。捕虜になった幹部の家族が給料未払いのまま、兵舎から追放されたとも聞く。
 片やNUG(国民統一政府)臨時大統領は、6日の閣議で内部改革着手を宣言し、13日にはザガイン地域での国内事務所設置を、14日には内閣再編と少数民族武装勢力からの人材登用を告げた。16日、同国防大臣が国防省は国内に移転済みだと述べた。なおカレンニー州では、臨時政府が行政を進めており、女性が多数登用されているという。
 尋常ならざる2025年の幕開けに、米国大統領の対外政策見直しが避難民の生存を揺るがせている。一方、革命勢力は従来から米国の武器援助を受けておらず戦力に影響はないと語る関係者の談話が、30日のビルマ語放送で流れていた。
 おりしも、詩人M5から詩集の序文依頼が飛び込んだ。面識はない。SNSをのぞくと、昨年の水害義援金募金ライブで詩を朗読している映像がアップされていた。バックのギター演奏はどこかで聴いた旋律と思ったら、「インターナショナル」のコピーだった。そろそろ詩集の原稿も届く頃だ。

 


 

南田 みどり(みなみだ みどり)=1948年兵庫県に生まれる。大阪外国語大学外国語研究科南アジア語学専攻修了。大阪大学名誉教授。ビルマ文学研究者・翻訳者。