2024年11月25日
「内戦長期化」に苦しむミャンマー避難民340万と報じる記事の中で、ラーショウ(ミャンマー便り24年9月27日参照)からの避難民が、どちらが勝とうと関心はない、安らぎを取り戻したいと語るのが目を射た。はたしてこれが大多数の願いなのか。独立直後の内戦から76年。政府軍支配下の合法地帯と各種反政府軍支配下の非合法地帯に分断されたこの国(便り23年2月1日)で、全国民に「安らぎ」が訪れた時代はない。2011年の「民政移管」後もロヒンギャ・ムスリムへの迫害はじめ、「安らぎ」にほど遠い事態は続いた。
独立直後の内戦も現在とは異なる。テインペーミン(1914-78)の短編は、デルタ農民の視点で次のように述べる。「村を目指し歩く道すがら、燃えている村々に出くわし、尋ねてみると、ある者は政府軍が火をつけたと言う。ある者は、いや政府軍じゃない、共産党が火をつけたと反駁する。ある者は白旗共産党が火をつけたと答え、またある者はいいや赤旗共産党が火をつけたと反駁する。カレン族が火をつけたよと言う者。いや違う、ビルマ族が火をつけたんだと言う者。白色人民義勇軍が火をつけたと言う者。違うよ、政府軍が火をつけたんだと答える者。しかし大半の者は、戦闘中に村に火が回ったと述べた」(「万事異状なーし」1949)「今やり合っているのは同士討ちだよ。わしらの村とタマンヂー村なぞ、わしらは共産党村で、タマンヂーは社会党村になってて、殺し合ってる。ほんとは、両方ともみんな農民ばかりだよ」「中にはね、実の兄弟姉妹がね、別々に分かれて殺し合っている。叔父と甥が分かれて闘っているところもある」(「裏切り者だと!」1950いずれも拙訳『テインペーミン短編集』大同生命国際文化基金2010所収)
当時は各種反政府軍の衝突が悲劇を加速させた。この歴史的教訓は心ある人々の胸に刻まれた。いま、「国軍」の暴虐に抵抗して武器を取った市民と少数民族武装勢力が展開するのは、軍事独裁を終焉に導き民主的連邦国家を構築する未曽有の闘いだ。革命勢力の占拠は88市に及び、ラカイン州は4市を残してAA(アラカン軍)の支配下に入った。焼き討ちや空爆や強制徴兵など戦争犯罪を重ねる「国軍」は、10月後半にザガイン地域ブダリンで惨殺した遺骸の一部を生垣にさらした。政治囚虐待は引きも切らず、前月(便り24年10月23日)に続き、NLD政権時代の電力大臣が11月1日に釈放され、ICU移送後の8日に死亡した。一方「国軍」総司令官は、5日から6日間訪中して支援を求めた。彼の帰国後中国は国境を閉鎖して物流を止めた。中国はすでに前月、コウカン族のMNDAA(ミャンマー民族民主同盟軍)にラーショウを「国軍」に明け渡すことを迫り、それに応じない指導者を拘束していた。この19日、中国報道官はコウカン族指導者が病気治療のため入院中だと発表して、拘束を否定した。これらがいま「内戦」といわれるものが呈する様相だ。
過去の内戦は、1940年代末から50年代前半に「内戦文学」を生んだ。上述のように翻弄される民衆像だけでなく、「解放区」に入り闘う人物像も登場した。それらは分断の固定化と言論出版弾圧強化とともに姿を消した。ラカイン州出身のテッカドウ・ナンダメイ(1923-89)は抗日闘争参加後、ヤンゴン大学在学中の1950年、長編『ナンダーパレー』でデビューした。革命的女性詩人名がタイトルの同作は、共産党解放区を舞台とした内戦小説として人気を博した。彼はのちに歴史小説に転じ、英語のビルマ戦記も多数翻訳した。去る2月、ヤンゴンのアムワーニーナウン(双子兄弟)社が、彼の生誕102年記念短編小説コンテスト応募作品を募集した。5月の締め切り時に150点の応募があり、有名作家から成る選考委員会が8月に入賞作14点を発表した。作者命日の11月15日、同社は入賞作品集を出版した。それが新しい「内戦文学」と呼べるかどうかは、読んでみてのお楽しみだろう。
南田 みどり(みなみだ みどり)=1948年兵庫県に生まれる。大阪外国語大学外国語研究科南アジア語学専攻修了。大阪大学名誉教授。ビルマ文学研究者・翻訳者。