2024年10月23日
詩人たちの熱い思いが実を結んだ。『ミャンマー証言詩集1988-2021いくら新芽を摘んでも春は止まらない』(コウコウテッほか著、四元康祐編訳)が港の人社から出版されたのだ。2021年末にドイツ語版が、22年に英語版が出ている。今回の日本語版は、英語版84編から32編、在英詩人コウコウテッ主宰の英訳ウエブ詩集『詩の郵便』から8編を収める。
事の起こりは、コウコウテッが21年2月の「クーデター」直後から発信した『詩の郵便』だ。それを目にした詩人の四元康祐さんが彼に翻訳許可を求め、4月に5名の詩人と翻訳作業に入った。5月からフェイスブックのフォーラムでそれを発表し、7月にビルマ語著者とズームでつないだ公開討議と朗読会をおこなった。詳細は『現代詩手帖』21年11月号の特集に詳しい。彼らの行動力には目を見張るものがある。
その四元さんから23年5月に協力依頼があった。コウコウテッがわたしの名をあげたらしい。わたしは現地で「詩人の母」と呼ばれているという。たしかにいくつかのビルマ語詩集にビルマ語序文を寄せ、詩と短編のアンソロジー『二十一世紀ミャンマー作品集』(大同生命国際文化基金2015)も出したが、わたしの研究対象は散文小説だ。ただ、現地の片腕だった詩人Lのお蔭で(ミャンマー便り2022年5月30日参照)、多くの詩人と語りあってきた。それでも、くだんの呼称に驚きと戸惑いを禁じ得ないまま、作業に入った。
まず人名地名の日本語表記を確定した。それ以外は訳者の努力に敬意を表して、介入を最小限にとどめた。必要に応じてコウコウテッからビルマ語原文を入手して参照した。最後に解説「彼らはどこからやって来たのか-『ミャンマー証言詩集』に寄せて」を加えた。
作業に先立ち、日本語版出版の承諾を著者たちから取ってもらった。未曽有の受難に苦しむ彼らに、これ以上累が及ぶのは避けたかった。コウコウテッが動いて、『詩の郵便』に掲載された女性詩人1名が辞退するにとどまった。31編の詩と9編のエッセイから成る本邦初のアンソロジーの著者は30名。うち匿名が6名、「国軍」に惨殺された者4名、物故者3名、釈放者4名、国外在住者7名、潜伏者(所在を明らかにしない者)2名。この顔ぶれだけでも、88年から33年間のこの国の尋常ならざる惨劇の爪痕がうかがえる。
詩の選出にあたり四元さんは、コウコウテッが基準とした「詩としての完成度の高さ」をさらに厳密に適用したうえで、日本語に訳しても「煩雑な注釈なしで直感的に解釈できるもの」に絞っていった。エッセイも既成の書き手だけでなく、「もっぱらSNSを舞台とする匿名的な書き手」の作品を選ぶというコウコウテッの方針を考慮したという。
本書には「証言詩」という耳慣れない概念が登場する。コウコウテッは、「抵抗詩と違って、証言詩は主観的であり個人的」「すべての抵抗詩は証言詩」だが「証言詩が常に抵抗詩であるというわけではない」と述べる。四元さんはさらに、「現実に抵抗するだけの言葉がプロパガンダに転化してしまう危うさ」をコウコウテッが熟知し、「でも書かないと精神が死んでしまう、生きのびるために書いている」のが証言詩だと補足する。そういえば、わたしからなぜ書くのかと問われた今は亡き詩人Lも、「書きたいから書く。書かないと掻痒感が生じる」と語っていた。それを思うと、大きな宿題を抱えた気分もする。
雨期明けの10月、灯明祭が訪れても水害の復旧は進まず、「国軍」の空爆は止まず、強制徴兵の若者狩りも続く。政治囚への虐待も日常化している。NLD副議長ゾーミンマウン博士は6日に釈放され、翌日未明73歳の生涯を閉じた。同じ頃、少数民族武装勢力との8月末の会談における中国の「国軍」支持発言の記録が流出した。そんな発言も何のその、各種革命勢力の占拠は現在85市にのぼる。15日に終了予定の国勢調査も月末まで延長された。
南田 みどり(みなみだ みどり)=1948年兵庫県に生まれる。大阪外国語大学外国語研究科南アジア語学専攻修了。大阪大学名誉教授。ビルマ文学研究者・翻訳者。