2024年9月27日
医師作家N2(72歳)が2016年の思い出として、乾燥地帯の彼のクリニックを訪れたわたしとジョッキを傾ける写真をSNSに載せた。飲酒は五戒に抵触する。謹厳な仏教徒は眉をひそめるだろうに。日本占領期を舞台にした彼の短編を翻訳したいと告げると、快諾してくれた。そして、「で、今度はいつ来るの。僕たち夫婦も高齢だからね。早く会いたいよ」と難問を発する。「軍事独裁が崩壊してからね」などと書けるはずもない。「国軍」はSNSも監視中だ。この3年半で投稿がらみの逮捕者が1691名という。作家N2に累が及ぶのは避けたい。「当分無理みたいね。ジム通いで体を鍛えておくわ」と返すのが関の山だ。
折しも、大学教員の詩人Tが序文を求めてきた。ここしばらく、彼は女性名で女性の視点から詩を書いていた。2021年2月の「クーデター」直後、CDM(市民的不服従運動)で多くの大学教員が離職したが、彼はとどまった。人知れぬ苦悩もあったことだろう。わたしのような人間に序文を頼んでくるところが、いかにも詩人Tらしい。
そういえば、詩人O(59歳)のために序文を書いて(ミャンマー便り2022年10月3日参照)2年半が過ぎたが、詩集が出た様子はない。彼の故郷のザガイン地域は空爆が続き、居住地マンダレーにも戦火が迫る。様子を聞くのもはばかられる。折よく、バンコクに出てきたばかりの彼の娘が、訪日後に観光ビザを留学ビザに切り替えられるかと尋ねてきた。関係者に問い合わせると、タイでは可能でも日本はかなり難しいとのことだった。
さらに彼女は、わたしが日本で編集・翻訳してビルマでも出版した3冊の作品集を、SNSで朗読する許可を求めた。文学好きは親譲りらしい。後日彼女が選んだのは、「帰宅」(2002『二十一世紀ミャンマー作品集』2015大同生命国際文化基金所収)だった。若者の魂だけが帰宅する短編だ。いま、軍事独裁と闘って森に入った若者たちの合言葉は「家に帰ろう!」だ。「戦いに勝ったら/家に帰る/母に会う/恋人に会う」といった詩や歌もSNSを流れる。一方「帰宅」の若者は、死に至る持病のあるギタリストで、酒に溺れて死ぬ。それでも彼女がこれを選んだのは、現在の若者たちを念頭に置いてのことだろう。
ところで、戦争と飢餓と疫病をビルマ語では「三大災厄」と呼ぶ。8月末から9月初旬にかけて、南部でサル痘を疑う患者が見つかったが、疫病流行は免れた。一方「戦争」は深化の一途をたどる。「国軍」総司令官は9月初めに各軍管区司令部を回って、奪われた領土の奪回作戦に入ると宣言した。なんのことはない。彼自らの指揮のもと、市民居住地などへの空爆を増加させたのだ。9月1日から20日までの空爆は48回以上。シャン州とマグエー地域では 5日6日の深夜や早朝の空爆で、妊婦や子供を含む28名が死亡した。9月第一週の重火器砲撃と空爆による死者は計150名。その中には、9日のラカイン州空爆の犠牲になった「国軍」捕虜50名も含まれる。シャン州のラーショウ(便り2024年8月30日参照)は電気が復旧したものの、9月中に6回空爆された。同市を制圧したコウカン族のMNDAA(ミャンマー民族民主同盟軍)は、中国の介入もあり、攻撃を続けることを断念した。
そこに発生したのが大規模水害だ。9月中旬からシャン州、カレン州、首都周辺、マンダレー地域など、広範囲に被害が及び、国連発表の水害被災者は18日で63万。25日の「国軍」発表死者は419名だが、この数は信ぴょう性を欠く。たとえば15日に、「国軍」報道官がマンダレー地域の某村の死者を7名と報じたが、住民談話では100名以上が行方不明だ。「国軍」はまた救援組織を攻撃し、救援物資を強奪し、一部地域への通行を禁じ、救援を停滞させている。水が引いた後の疫病の発生や、農作物壊滅による飢饉も懸念される。火と水とによる未曽有の試練が「三大災厄」に拡大せぬよう、公正で迅速な救援を求めたい。
南田 みどり(みなみだ みどり)=1948年兵庫県に生まれる。大阪外国語大学外国語研究科南アジア語学専攻修了。大阪大学名誉教授。ビルマ文学研究者・翻訳者。