2024年8月30日
8月といえば「四つの8」だ。1988年8月8日、学生・市民は戒厳令下で大規模なゼネスト・デモを決行した。ビルマ式社会主義の仮面を捨てた「国軍」は、9月18日にクーデターでむき出しの軍事政権を登場させた。この期間の弾圧による死者、逮捕者は各々数千名という。以来毎年8月8日に世界各地で「四つの8」記念行動がおこなわれてきた。今年の国内の行動は少し大胆だった。ヤンゴン市内のフラッシュデモ、ショッピングセンターに流れる革命歌、落書き、陸橋の弾幕などがSNSに投稿された。逮捕者が出た様子はない。
そんな折しも、いつも花の写真ばかり送ってくる女性詩人M(74歳)が、堰を切ったように受難体験を綴ってきた。夫も詩人で、1974年から何度も逮捕され、88年には高校生の息子も逮捕された。その後の軍事政権時代、父子は服役を繰り返した。10年の刑期を終えた夫は、出獄3か月後の2004年7月、獄中患った病気のためヤンゴンで死亡した。当時彼女は次男と一緒にザガイン地域カレー市の刑務所で長男と面会中だった。現在病身の彼女は、次男や娘二人とその家族に囲まれているが、長男はまた服役中だという。
今年4月、オンライン書籍『ミャンマー・デジタルブック』の「三行詩の頁」が女性詩人特集を組んだ。20編の中に彼女の三行詩「感慨」も見いだせる。詩を道連れに歩んだ苦渋の人生が三行に凝縮されている。「詩というものは、、、/ 時と季節と祝祭日に応じた感慨 / 胸中からほとばしる言葉の音」
獄中の栄養・衛生状態は劣悪で、家族や支援者からの差し入れは不可欠だ。しかも収容先は自宅から遠隔地が多い。交通機関を乗り継いで面会に出かけるのも一苦労だ。政治囚への虐待も絶えない。7月末にもヤンゴンのインセイン刑務所で元記者が、マグエー地域のタイエッ刑務所で政治囚が獄死した。8月23日現在の政治囚は20781名にのぼる。
高名なドキュメンタリー映画監督ペーマウンセイン(50歳)は8月16日に釈放され、19日にヤンゴン市内の病院で死亡した。2022年5月にカレンニー(カヤー)州の州都ロイコーの検問所で逮捕された彼は、カレンニー族革命勢力のドキュメンタリー映画を制作したあと、次作の取材で同州に入ったところだった。彼は非合法組織との接触の罪で3年の判決を受け、ロイコー刑務所で結核に感染して脊椎カリエスを患い、インセイン刑務所内の病院に移された。病院内でも足枷がはめられたままだったという。SNSは彼の死を悼む投稿で溢れた。彼の父は、国民的風刺漫画家のペーテイン(1929-2009)である。
ところでシャン州北部の要衝ラーショウも、この8月に注目を集めた。同市は拙訳「摂氏零度」(1988キンパンフニン1950-2017『ミャンマー現代短編集2』1998大同生命国際文化基金所収)の舞台でもある。作者は1987年にラーショウ病院勤務医だった。国境密貿易基地の活気に溢れた町の不思議な魅力が、出身地のデルタやヤンゴンしか知らなかった彼女をとりこにした。作品はほろ苦い失恋物語だが、彼女は「この作品の主人公は町よ」と断言した。そこでわたしも1997年と2000年に同市を訪れた。マンダレーから北東へ悪路を揺られて9時間。山に囲まれた人口15万の町は「中国系住民」も多く、朝市は山から下りて商いする少数民族で賑わっていた。
ラーショウにある東北軍管区司令部は、「国軍」司令部の中では三番目に大きい。7月から同市で「国軍」とコウカン族のMNDAA(ミャンマー民族民主同盟軍)(ミャンマー便り23年12月25日参照)の戦闘が続いていた。SNS投稿をたどると、MNDAAは7月末にラーショウ刑務所を占拠して、政治囚200名を解放した。続いて彼らは8月3日に東北軍管区司令部を占拠した。白旗を掲げた「国軍」将兵とその家族の行列が延々と続いた。4日に彼らは住民に支援物資を配布した。8日に彼らは「国軍」の家族1000名を解放した。9日には「国軍」がラーショウ刑務所を空爆し、受刑者120名以上が死亡した。10日、市内各所にMNDAAの旗が翻った。同日彼らは、東北軍管区司令部跡の瓦礫の下から衰弱した「国軍」兵士13名を救出し、病院に送った。その後彼らは、CDM(市民的不服従運動)公務員に行政への復帰を呼びかけ、住民説明会を開いて徴兵制度は実施しない旨伝え、協力も呼びかけた。行政と医療が動き出し、電話回線が一部地域で復旧した。21日のMyanmar Nowは、市場の賑わいや空爆跡地などの風景を映し出した。
21日現在、各種革命勢力は79市を制圧する。「国軍」の重火器砲撃や空爆を警戒してのことか、ラーショウのような制圧後の続報は少ない。空爆を怖れて避難中の住民も多数に上るが、ラーショウ制圧は革命勢力にとって大きな布石となったようだ。
南田 みどり(みなみだ みどり)=1948年兵庫県に生まれる。大阪外国語大学外国語研究科南アジア語学専攻修了。大阪大学名誉教授。ビルマ文学研究者・翻訳者。