2024年6月28日
6月19日はアウンサンスーチー79歳の誕生日だった。昨年は、花を手にし、髪に挿した女性が130名も逮捕された(便り23年7月3日参照)。今年も、花を贈る、仏壇に供える、髪に挿す、手に持つなどして、アウンサンスーチーはじめ全政治囚の釈放を求めるフラワー・デモが呼びかけられた。
一連の動きに「国軍」が神経をとがらせていた折も折、予期せぬ事件が生じた。19日午前、マンダレー地域で高僧の車が銃撃され、高僧が即死し、運転手と同乗の僧侶が負傷したのである。「国軍」報道官は、「国軍」とPDF(市民防衛隊)の戦闘が生じ、通りかかった車上の高僧にPDFの銃弾が命中したと発表した。しかし翌20日、一時拘束されていた同乗の僧侶が檀家衆を前に語った話は、報道官発表とは大きく食い違っていた。
彼らはその朝、マンダレーで行われる宗派会議に出席するため、ヤンゴン空港からマンダレー空港に着いた。彼らの宗派シュエージン派は、ビルマ仏教界第二の勢力を誇る。マンダレー市街地の32キロ南方にある空港を出た彼らは、さらに西方のゆかりの村に立ち寄るのに時間を費やし、マンダレー市内目指し急いでいた。そのとき路上のトラックから「国軍」兵士が発砲して、高僧が即死した。同乗の僧侶が抗議すると指揮官は、「窓を締め切って疾走しているので敵の車だと思った、僧侶が乗車中とは知らなかった」と述べたらしい。独立系メディア「Myanmar Now」が同地域のPDF責任者に確認したところ、現場一帯は「国軍」が優勢で、PDFが入る余地はなく、戦闘も生じていなかったという。
亡くなった78歳の高僧は出家生活56年。人格高潔で学を極め、「国軍」の愚挙には批判的であった。しかし、高僧の所属するシュエージン派最高指導者は、「国軍」総司令官と親密である。早速指導者氏は、「耐えよ、赦せ、忘れよ、これぞ仏陀の教え」と語り、市民を唖然とさせた。僧侶殺しは仏教徒にとって重罪である。「国軍」は22日に犯行を認め、謝罪し、調査を進めるとしたが、その成り行きは明かされていない。国軍系メディアはむしろ、事実を証言した僧侶への攻撃を強めている。葬儀は27日に亡き高僧の地元のバゴウ市で営まれ、僧俗多数が参列した。現在PDFが優勢な5都市で僧団の抗議行動が生じている。
事件は、「クーデター」以来「国軍」が重ねてきた非人道的戦争犯罪の延長線上にある。市民は物価上昇や物不足に苦しみながらも、「国軍」を見限っている。昨年10月に新段階に入った武装闘争も、さらなる段階に入った。カチン州ではKIA(カチン独立軍)が 3か月で125の「国軍」基地と3都市を占拠した。ラカイン州でAA(アラカン軍)は、北部から中部の要衝に進出した。シャン州では、中国の仲介で6か月の停戦後、TNLA(タアン民族解放軍)とPDFの連合軍が中部で進撃を再開した。マンダレー北方でも激戦中だ。
さてアウンサンスーチーの誕生日は、世界各地でつつがなく祝われた。東チモール大統領はじめ、英国、デンマーク、ノルウェー、ドイツ、欧州同盟各大使館が、祝意を表した。SNSには、海外在住ミャンマー市民が大きなケーキに蠟燭をともして歌う姿、国内のNUG(国民統一政府)支配地域で市民がデモ行進し、兵士や子供たちが花を挿す姿、外出が危険な地域の市民が室内に飾ったバラや、バラを挿した後ろ姿、ヤンゴンで陸橋に吊るされた「解放」の文字、「SUU」と書いたボードを持つ少女の姿などのほか、アウンサンスーチーが愛する赤いバラの絵や写真も溢れ、「鋼鉄の薔薇を誇る」と書かれたボードも目に付いた。どうやらバラは、アウンサンスーチーが髪に挿して愛用するのみならず、彼女そのものをも象徴するらしい。ただマンダレーでは、花を挿した女性20名が逮捕された。昨年より犠牲を少なめに抑えながら、「鋼鉄の薔薇」の誕生祝いは多様な展開を見せたといえる。
南田 みどり(みなみだ みどり)=1948年兵庫県に生まれる。大阪外国語大学外国語研究科南アジア語学専攻修了。大阪大学名誉教授。ビルマ文学研究者・翻訳者。