「森に入る」

2024年5月21日

 国土が政府軍支配下の合法地帯と反政府軍支配下の非合法地帯に分断されて76年目のこの国では、非合法地帯で活動することを「森に入る」という。いま各地で好評上映中のコウ・パウ監督(便り22年11月1日参照)の最新作『夜明けへの道』(2023)は、人気監督・俳優としての栄達を捨て森に入った監督のセルフ・ドキュメンタリーだ。英語タイトルはRAYS OF HOPE、ビルマ語タイトルの直訳は「曙光来たる道」である。彼の前作『歩まなかった道』(45分2022)は、森に入った「国軍」兵士の短編ドラマだったが、最新作は101分の長編だ。前作同様iPhoneで95%撮影された。監督自ら被写体となり、2021年2月の「国軍」政権簒奪事件直後の平和的示威行動から、非人道的弾圧開始後のヤンゴンでの潜伏生活を克明にたどり、カレンニー(カヤー)州の森に入って、革命軍兵士たちと苦楽を共にする現在までを語る。語りの合間に挿入された過去のドキュメンタリー映像で、3年間の事実経過も把握できる。
 当事者である彼の語りは説得力に満ちる。心に迫るのは第一に、息詰まる潜伏中の逡巡だ。逮捕や拷問や死の恐怖、家族と離れる悲しみの果てに、いっそ逮捕されてしまったほうが楽になるのではといった迷いを克服し、「何があるかわからないが信じた道を行こう」と腹をくくる過程が、如実にたどられる。第二に、彼の映画人としての立ち位置だ。映画人の中には合法地帯で「国軍」に協力する者も多い。しかし、前作の制作で「検閲なき自由」の醍醐味を初めて味わった監督は、もうあとには戻れないと語る。2011年の「民政移管」の翌年、出版物の検閲は廃止されたが、映画の検閲はその後も続いていたのである。第三に、彼がビルマ軍の生みの親である日本の存在に言及したことだ。「国軍にとって日本は親のようなものです。いま、子供がさんざん罪を犯している。親は邪悪な子供に何も言わないでいいのでしょうか」と彼はいう。この言葉を我々は重く受け止めたい。
 「国軍」による徴兵目的の若者狩りも後を絶たないが、徴兵を逃れて森に入った若者は1000名を超える。5月15日付「ミャンマー・ナウ」は、そのような若者のひとりに焦点を当てた。24歳の彼はシーク教徒で、徴兵された場合虐待される可能性があった。かつての「国軍」には諸民族諸宗教の兵士が存在したが、1962年の社会主義という名の軍事官僚独裁政権発足後、非ビルマ族非仏教徒への差別が強まったという。彼は3月にマンダレーを離れた。カレンニー州南部に隣接するカレン州で、詩人M4(便り23年12月25日参照)率いるBPLA(ビルマ人民解放軍)に加わり、4月末から3か月の訓練に入った。彼は2021年当初から森に入りたかったが、家庭の事情で思いとどまった。彼の一族は「叛徒」(「国軍」はそう呼ぶ)の家系だ。祖父は戦後共産党の武装闘争に加わり、伯父も88年民主化闘争挫折後、森でABSDF(全ビルマ学生民主戦線)に加わった。前政権時代国会議員を務めた小父は、指名手配中で行方がわからない。彼は「叛徒」の家系を誇るが、革命後は元のように私塾教師に戻って若者の教育に貢献したいという。
 さて、12日の母の日にはフェイスブックで、PDF(人民防衛隊)の若者の詩や演奏が多数流れた。母の象徴であるアウンサンスーチーを称える投稿も見られた。彼女は4月に刑務所外に移されたと一部に報じられたが、結局刑務所に留め置かれたようだ。5月8日にはカンボジアのフンセン前首相が彼女との面談を希望し、「国軍」総司令官は検討すると回答したが、翌日それを退けた。5月15日、彼女は首都ネーピードーの「国軍」基地内の建物に移送されたことが判明した。すでに4月3日と11日に「国軍」基地はPDFのドローン攻撃を受けている。「国軍」は盾としての彼女の活用に向け、さらなる一歩を進めたのだ。
 カチン州やラカイン州では革命勢力による「国軍」基地占拠が続く。革命勢力は5月6日にカレンニー州で、18日にカチン州で軍用ヘリを撃墜した。一方「国軍」内では、4月末から5月中旬にかけて大佐クラスが20名以上更迭された。追い詰められた「国軍」は、カチン州やカレン州やチン州やラカイン州のみか中部のマグエー地域やザガイン地域でも空爆を続ける。そして焼き討ちや惨殺も絶えない。11日にはザガイン地域ミンムー郡の村で、僧院に隠れていた避難民30名以上が虐殺された。バゴウ地域でも住民が人間の盾として拉致されている。生還の可能性は少ないだろう。18日の時点で市民の死者は5098名だ。
 19日現在革命勢力は国土の六割と59都市を支配下におさめる。すでに次作を制作中のコウ・パウ監督は、今年は「国軍」の圧力が強まるが、85パーセントくらいの地域が解放できるだろうと見る。諸勢力が力を合わせれば革命は成功すると、彼も信じている。

 


 

南田 みどり(みなみだ みどり)=1948年兵庫県に生まれる。大阪外国語大学外国語研究科南アジア語学専攻修了。大阪大学名誉教授。ビルマ文学研究者・翻訳者。