作家たちの「日常」

2023年11月20日

 フェイスブック友達の恩恵に浴し、便りも20回を迎えた。1785名の「友」のうち日本人は150名足らず。あとは作家、詩人、編集者、出版者、文学愛好者、書店店主をはじめとするミャンマー市民だ。彼らの投稿から各種メディアにもアクセス可能となった。
 国軍という名の利権的暴力集団もSNSには目を光らせる。10月末には、テインセイン大統領の「民政」期(2011-15)の軍出身情報大臣が、暴力集団批判の投稿で逮捕された。投稿も様変わりを続ける。「本日のモヒンガー」(便り2023年3月1日参照)は、文字を流さず音声のみとなった。強烈な風刺漫画の類は激減した。自作の詩や小説はほぼ姿を消した。かわってミントゥウンやアウンチェイン(同上参照)など、故人の詩が増加した。毎日のように、ブレヒトの詩の訳を投稿する作家M3(同23年4月1日参照)や、回顧録を投稿する作家S(65歳)は例外的存在だ。先日もSは、1999年に作家テインペーミン(1914-78)ゆかりのモンユワーやブダリンなど中部ビルマをわたしと訪れた話を書いていた。年長のわたしが駆け出し作家Sと対等に接し、車中で文学はじめ諸事全般が議論できて嬉しかったと彼は結ぶ。いま同地域一帯は暴力集団と革命勢力の戦闘が続く。彼の狙いはむしろ、地名の数々を挙げて、同地に息づく反骨の伝統を想起させることにあったのではなかろうか。
 投稿には新刊や古書の宣伝も目につく。新刊は詩集が多い。過日も詩人2名が新しい詩集を進呈したいと便りを寄越した。新刊小説は少なく、再刊や外国小説の翻訳が多い。作家K2(同22年7月12日参照)は潜伏以来13冊も教養書を出版した。時間だけはあるのだ。画家も同様だ。Sの妻の画家K(60歳)も豪放な抽象画をしばしば投稿する。ヤンゴンでも毎日どこかで絵画展がある。画家でもある詩人Tは、各種個展の予告や、ギャラリーで談笑する画家、作家、詩人の姿を投稿してくる。ときには、出版記念の集いも見られる。これらは、貴重な情報交換の場になりうるだろう。彼らは可能な方法で繋がるすべを心得ている。
 外国に出かける作家もいる。たいていは親族訪問だが、作家N(67歳)は10月下旬から夫の作家A(71歳)と中国に滞在し、紀行を投稿している。彼らは学生時代に中国国境近くのビルマ共産党(CPB)解放区に逃れ、10年余り党中央に勤務した経緯がある。近年中国は、ビルマ作家の取り込みに熱心だ。K2でさえ招かれて訪中し、街が清潔で驚いたと語っていたのが思い出された。
 折しも「1027作戦」が始まった。10月27日、東北部シャン州の中国国境で、「三兄弟同盟」と呼ばれるパラウン族のタアン民族解放軍(TNLA)とコウカン族のミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)とラカイン族のアラカン軍(AA)が、軍事独裁打倒やオンライン詐欺撲滅等を掲げ決起した。11日間で暴力集団基地120か所余を占拠し、7市を制圧した。暴力集団の死者や投降者も多数にのぼる。NUG(民族統一政府)はじめ市民多数がこれを支持した。中部ビルマや南部タニンダーイー地域でも暴力集団基地への攻勢が強まった。11月11日からは、勝利の花フトモモの写真を投稿する「1111運動」も始まった。多くの「友」が、赤みがかったフトモモの若葉の写真をアップした。同じ日に東部カンレンニ―州で、13日には北西部チン州と西部アラカン州で、暴力集団基地への攻撃が始まった。
 「三兄弟」と行動をともにする武装組織の中にPLA(人民解放軍)という見慣れぬ名を目にした。11日の『ミャンマー・ナウ』はCPB広報官・作家Bへのインタビューで、それが2021年結成の同党軍事組織だと報じた。「道はまだ半ばだ。今後敵がどう出るか。楽観は禁物だ。諸勢力の団結が鍵だ」と、Bは語る。CPBは1989年に壊滅したとされるが、幹部は中国に住む。とすれば、この時期のNたちの訪中もただの物見遊山ではあるまい。

 


 

南田 みどり(みなみだ みどり)=1948年兵庫県に生まれる。大阪外国語大学外国語研究科南アジア語学専攻修了。大阪大学名誉教授。同外国語学部非常勤講師としてビルマ文学講義も担当中。