日本小説の中のビルマ人たち

2023年10月2日

 ビルマ人が登場する日本小説の大半は、日本占領期(1942-45)を舞台とした「戦争文学」だった。そこには、ビルマ小説が描く同時代の彼らとは乖離したビルマ人像が多い。その最たるものは、『ビルマの竪琴』(1948竹山道雄)の食人種だ。水島を救出して僧衣を与えた彼らは、ストーリー展開上不可欠な存在だった。しかし、英語版を読んだビルマ知識人の批判を浴び、その登場は映画やビルマ語版では削除された。また、『ビルマの耳飾り』(1971武者一雄)に登場する、日本兵に殺生を戒める村の少女のような存在も、ビルマの日本占領期小説には見いだせない。ビルマ語版を読んだ評者からは、作者の歴史認識の甘さも指摘された(『ビルマ文学の風景』pp.143-146,325-330)。
 工事着工から敗戦までを描く『小説泰緬鉄道』(1968清水寥人)や、敗戦国捕虜収容所での合唱団結成の経緯を描く『ビルマの星空』(1997武者一雄)にも、日本人にかかわるビルマ人が若干登場する。ビルマ人的視点からはその描写や扱いに違和感が免れまい。封印していた戦場の凄惨な記憶を50年後にたどる『フ―コン戦記』(1999古山高麗雄)に至っては、顔と名前を持つビルマ人の姿はなく、遠景中に溶解させられる。ただ、侵略戦争の極限における狂気が全編に溢れた『密林と兵隊』(1950火野葦平)には、日本兵たちにレイプされ殺されるチン族女性が一瞬登場する。少なくとも彼女の姿だけが、ビルマ小説に登場する女性たちに重なり合う。一方、『メフェナーボウンのつどう道』(2008)から『敵前の森』(2023)に至る古処誠二作品7点は、ビルマ戦線を舞台に様々な時期の異なる地方の事件を、将兵や軍属の視点から、入念なミステリータッチで描く。軍という組織や日本人なるものを問うことが狙いだろうが、日本人とかかわるビルマ人像の描写にもそれなりの配慮が窺える。
 戦争を離れ同時代ビルマを描く初の小説は、北部カチン州を舞台としたハードボイルド『河畔に標(しるべ)なく』(2006船戸与一)だった。日本人1名を除けば、国軍将校、民主活動家、カチン軍将校、犯罪組織の中国人など一筋縄ではいかない面々を揃え、破滅に向かってひた走らせる。紛争地域の深い闇に沈むこれらビルマ人像は、「紛争」が全土に及び、事実が虚構を圧倒するいまこそ、むしろ強烈なリアリティーを持って読者の前に立ち現れる。
 最近登場したのは闘うビルマ人像だ。「黄金の国」(2014加藤康弘)は、2007年の「サフラン革命」時に逮捕を逃れて来日したビルマ青年の視点から、日本での労働や同僚日本人とのかかわりを描き、「チェーズー ティンバーデー(ありがとう)」(2020加藤康弘)は、元ホームレス少女に在日ビルマ人コミュニティーでの88年民主化闘争活動家たちとの交流を回想させる。ノンフィクション小説『ヤモリの慟哭 武器をとるミャンマーの若者たち』(2023緒方樹人)は、「民政」下の2016年から「クーデター」後の2022年に至る、ヤンゴンとタイ・ビルマ国境地帯を主要舞台とする。2章以降では、日本人ジャーナリストやその同僚のビルマ女性の視点から、息詰まるような抵抗や潜伏や逃走が活写される。等身大の同時代ビルマ人の、民主化への無私の情意が、日本人の意識を働かしていく。日本小説におけるビルマ人形象化も、新たな段階に入ったといえるかもしれない。
 さて、9月初めにアウンサンスーチーの健康状態が憂慮される情報が流れた。続報はない。各刑務所では政治囚への虐待が増加し、25日にはヤンゴンのインセイン刑務所で27歳の政治囚が病死した。拡大する戦闘の死者は、「国軍」という名の暴力集団の側に多い。逮捕や焼き討ちや空爆も後を絶たない。市民の死者は4000名を超え、うち子供が300名にのぼる。暴力集団内部でも高級幹部更迭が相次ぐ。彼らはロシアと友好を深め、5日に直行便を就航させ、11日に戦闘機3機を購入した。総司令官亡命ルートも確保できたというわけか。 

 


 

南田 みどり(みなみだ みどり)=1948年兵庫県に生まれる。大阪外国語大学外国語研究科南アジア語学専攻修了。大阪大学名誉教授。同外国語学部非常勤講師としてビルマ文学講義も担当中。