2023年8月1日
先日、祖父が生涯で一度だけ語ったというビルマ戦線の体験について、某紙の読者欄で読む機会があった。祖父なる人は、傷口にわいたウジや、人を殺めたことを後悔して自害した友や、理不尽な上官への抵抗などについて語り、自分たちがこうして生きていることは、「多くの戦争被害者の上に成り立っている」とも述べたという。投稿者は戦争体験の継承の重要性を説き、戦争は百害だと結んでいた。
ここでいう「戦争被害者」は誰をさすのだろう。ビルマ人犠牲者は入るのか。日本軍兵士も含まれるのか。ビルマ人にとって、ファシスト日本が侵略した1942年から45年は「暗黒時代」だった。歴史教科書に登場する日本軍の暴挙も、枚挙にいとまがない。そこに現れる日本軍兵士は「戦争被害者」ではなく、加害者にほかならない。それはビルマの子供でも知ることだ。しかし、加害者側に属する我々の側の認識は極めて甘い。父をビルマ戦線で失ったさる知人も、『ビルマ文学の風景』(第5章5.おわりにかえて『ビルマの竪琴』またもやpp.325-335)を読んで、父を「被害者」だと思い込んでいたことに気づいたと語った。彼の人柄を知るだけに、そのことばにはむしろこちらが驚かされた。
国軍という名の利権的暴力集団とたたかうNUG(国民統一政府)閣僚たちが、いま訪米中だ。彼らは米国国務省と会談し、財務省も暴力集団傘下の銀行の制裁に乗り出し、訪問は一定の成果をあげている。6月下旬、フェイスブックに印象的な映像が流れた。町の体育館で、在米ミャンマー市民コミュニティー主催のNUG教育・保健相歓迎集会が催された。開会に先立ち、全員が起立した。続いて、第一に反植民地闘争、第二に反ファシズム闘争、第三に独立闘争の犠牲者に敬意を表して、彼らは三回深々と頭を垂れたのだ。こうした過去の三つの闘争の延長線上にある現在のたたかいを、彼らは「第二の独立闘争」と位置づける。
日本軍特務機関が創設したビルマ軍は、日本ファシズムの遺伝子を継承して暴虐の限りを尽くし、いまや市民から「ファシスト」軍「テロリスト」軍などと呼ばれる。彼らの肥大化に、ODAという名の投資も無関係ではなかった。日本の政財界に「ファシスト」軍を擁護する一団が存在することも、心あるミャンマー市民を失望させている。ウクライナの悲劇を我が国で報道することは、非核非戦を国是とするこの国を現代版富国強兵の国に改造したい面々には渡りに船だ。一方、ウクライナ以上に濃厚なビルマとの現在過去のかかわりを深掘りすれば、くだんの一団と「ファシスト」軍との軍事的経済的癒着も浮上するだろう。そこに、ビルマ報道が抑えられる理由が存在するのではないか。加害の歴史への洞察力を鈍麻させる世論操作もすでに作動中だ。他者の目を意識するのが日本人の常ならば、この際ミャンマー市民のまなざしをも受け止めてしかるべきだろう。彼らは過去を忘れていない。
7月に入って暴力集団は非常事態の再延長を宣言し、大仏建立や高額紙幣発行なども公表した。一方、逮捕者や拘束者の移動中の殺害も増加している。たとえば、7日にバゴウ地域のダイウー刑務所から移送のため連れ出された政治囚37名のうち、10名はヤンゴンのインセイン刑務所に到着したが、12名が死亡し、15名が行方不明だという。
12日に暴力集団は、タイ外相が首都ネーピードーの刑務所でアウンサンスーチーと会談したと報じた。外相は会談内容を明らかにしなかった。だが彼らは、彼女がNUGやPDF(人民防衛隊)不支持を表明したとするビラを作成し、17日にマンダレーを中心に配布した。26日、NUGはネーピードーへの侵攻作戦の開始を宣言した。同じ日暴力集団は、彼女を刑務所から副大臣向け住宅に移送したと発表した。将官クラスの更迭も続出するいま、彼らは彼女を弾除けとして再利用することを目論んでいるかに見える。
南田 みどり(みなみだ みどり)=1948年兵庫県に生まれる。大阪外国語大学外国語研究科南アジア語学専攻修了。大阪大学名誉教授。同外国語学部非常勤講師としてビルマ文学講義も担当中。