氷漬けの魚

2023年5月1日

 1970年代まで、日本が登場するビルマ小説は日本占領期(1942-45)を扱ったものが多かった。中でも花形は抗日小説だ。1962年に「社会主義」という名の軍事独裁政権が始まると、文学はビルマ式社会主義への貢献を義務付けられた。抗日小説の「貢献」は目覚ましかった。それは60年代に二つの「神話」を構築した。第一は、ビルマ軍の対日協力を隠蔽し、抗日統一戦線でビルマ軍だけが抗日闘争の立役者だったとする「神話」だ。第二は、ビルマ族と少数民族の例外的な共闘を普遍化して、全民族の協力で抗日が成功したとする「神話」だった。そんな「神話」構築をわたしは、「虚構による史実の再編」と呼んだ(『ビルマ文学の風景』p.66参照)。70年代には、反政府軍と闘う国軍を称える「愛国小説」も派生した。
 80年代以降、日本占領期を扱う小説は激減した。88年には、「社会主義」の仮面をかなぐり捨てむき出しの軍事政権・国家法秩序回復評議会が登場した。言論統制の強化や生活破壊から筆を折る作家も増え、小説そのものが減退していった。そうした中で、70年代以前には見られなかったタイプの日本関連小説が現れた。その中には、留学生や出稼ぎ労働者など在日ビルマ人の視点から書かれた小説群も含まれる。
 現在その流れは、作家L2(40歳)の作品に見いだせる。彼は日本を舞台に長編2編、短編8編を書いた。「氷漬けの魚」(2016)では、水揚げ港で働く技能実習生が当初海を憎み、次第に海に惹かれる。そして実習期間が終了して帰国する前夜、海は彼を吞みこむ。一方『サクラより美しくあれ』(2019)の技能実習生は水揚げ港から逃げ、より過酷な運命に翻弄される。遅まきながら先日観た日本・ベトナム共同製作映画『海辺の彼女たち』(2020)では、職場を脱走したベトナム人技能実習生たちの行き先が水揚げ港だった。深々と抑制的な色彩の中に日常の過酷が埋め込まれる。彼らの危険な労働が我々の胃袋を支えるのだ。
 さて、農家に生まれたL2は、農業の傍ら勉学を志すが、通信大学一年次で学業を断念。ヤンゴンで働きながら、詩や小説を書き始めた。その後マレーシアで4年就労し、ビルマ人移住労働者コミュニティーの闇を描いた長編が2017年度国民文学賞を受賞した。現在は関東地方で働き、詩や小説や随筆を発表する。彼から近著5冊を送ってもらった。うち3冊が、国軍という名の利権的暴力集団が政権を簒奪した2021年2月以降の出版だ。
 L2の故郷は中部乾燥地帯のマグエー地域中西部にある。北部は暴力集団とPDF(人民防衛隊)の戦闘が続く。北隣りのザガイン地域では4月11日朝、暴力集団がカンバルー郡バズィーヂー村を空爆。子供30名余を含む男女181名が死亡した。村民たちはNUG(国民統一政府)の事務所開きを祝っていた。遺体は散乱し、回収も困難を極めた。夕方5時に再度空爆があり、回収作業が中断された。常々暴力集団報道官は、自らの焼き討ちをPDFの仕業と報じてきた(便り2022年7月12日参照)。だが、さすがに今回はそうはいかない。PDFの拠点を空爆したらPDFの弾薬が爆発して死者が多数出たと語った。捏造報道は彼らの常套手段だ。報道官の言葉を信じる者はまずいないだろう。非戦闘員に対するこの非人道的犯罪は、暴力集団政権簒奪以来最大の虐殺事件として人々の胸に刻印された。
 続いて水かけ祭が訪れた。PDFは市民に外出しないよう呼びかけた。厳戒態勢の静かな町々で、暴力集団仮設舞台付近に爆発が少なからず生じた。地方では戦闘も続き、4月16日のモヒンガー(便り2023年3月1日参照)は263食だった。3日間の祭りが終わり、17日にビルマ暦の新年が明けた。暴力集団は恩赦で3113名を釈放した。うち政治囚は3名だった。同日、首都ネーピードーの空軍基地が爆発で炎上した。そんな中、日本で就労を希望するミャンマー市民が増加中だ。悪徳仲介業者も暗躍する。当分L2も題材には事欠くまい。
 

 


 

南田 みどり(みなみだ みどり)=1948年兵庫県に生まれる。大阪外国語大学外国語研究科南アジア語学専攻修了。大阪大学名誉教授。同外国語学部非常勤講師としてビルマ文学講義も担当中。