本日のモヒンガー

2023年3月1日

 モヒンガーはミャンマーの国民食だといわれる。ナマズや豆や野菜の煮汁を米粉の麺にかけ、揚げ物やコエンドロをトッピングする。唐辛子は好みで加減する。亡き詩人L夫妻とよく屋台を食べ歩いたものだ。モヒンガー抜きでヤンゴンの朝は始まらない。   
 国民食とはいえ、全土でありつけるわけではない。カチン州やシャン州では混ぜそばが主流だし、チン州に至ってはザブーディーというトウモロコシと肉入りのおかゆを食べる。マンダレーっ子も混ぜそばが好きだ。国民食なる呼称はヤンゴン中心過ぎはしないか?どうも気になっていた。
取材で全国を渡り歩いた作家K2は、同じモヒンガーでもミャンマー南部では汁が濃厚で、中部以北はあっさり目だという。 モヒンガーについて書きたいとわたしが伝えると、K2はたっぷりと蘊蓄を傾けてくれた。以下が冒頭の一節だ。
 「ミャンマーでは人が亡くなると、死者の冥福を祈って功徳を積むのが習わしです。初七日には僧侶を招いて施食をします。俗人の客には、一般の料理ほどには値が張らず万人に好まれるモヒンガーをふるまいます。不幸のたびにモヒンガーをふるまう慣習にちなんで、弔事が生じることを隠語で、モヒンガーをふるまう、モヒンガーを食べるといいます」
 45回もあの国を訪れたのに、知人の弔事には3回しか遭遇しなかった。一度目は2002年9月だ。到着早々、以前から会いたかった詩人マウン・チョーヌエー(1949年生まれ)が病死した。ヤンゴン郊外の火葬場は、故人を愛した作家や詩人で溢れた。詩人Lがやおらレンガの台に飛び乗り、紙を取り出して読もうとした。彼の師匠で詩人のアウンチェイン(1948-2021)が素早く取り押さえた。数秒の出来事だ。5人以上の集会が禁じられていた。野辺送りにも秘密警察が目を光らせる。惜別の詩を読み上げれば、集会とみなされる危険があった。「お客さんの前でなんということをする!」と、師匠はたしなめた。客とはわたしのことだ。Lが逮捕されてはわたしのアテンドができなくなると、師匠は心配したのだ。
 2度目は『ビルマ文学の風景』(pp.214-217)で述べたように、2004年8月の詩人ミントゥウン(1909年生まれ)の野辺送りだった。3度目は2016年9月だ。画家チョーモウター(1946年生まれ)が心臓まひで急死した。伝統とモダニズムの融合と深い色調に魅かれて彼の絵を購入したのは1996年だった。数年後マンダレーの自宅を訪れ、家族ともども語り合っていると、その昔どこかで一緒だったのではないかと思えるような懐かしさに包まれた。訃報を聞いたときわたしがマンダレーにいて弔問できたのも、偶然ではない気がする。
 三回ともモヒンガーのおふるまいにはあずからなかった。わたしの中で弔事とモヒンガーが結びついたのは、国軍という名の利権的暴力集団が政権を不当に簒奪した2021年2月以降だ。彼らが都市部のデモを容赦なく圧殺し、地方の人びとが自衛のために武器を取って抵抗しだしたころ、風刺漫画にモヒンガーが登場するようになった。兵舎からモヒンガーのにおいが漂ってくる。毎日のように弔事が生じて、兵舎でモヒンガーがふるまわれる。そんな漫画だ。暴力集団側の死者が多いと知った。いまやモヒンガーは、国民食ならぬ暴力集団弔事の代名詞と化したらしい。
 すでに2012年ごろに彼らの実数が40万ではなく30万くらいだという話を小耳にはさんだ。脱走兵も多く、兵卒も使い物にならず、将校が兵卒に代わって前線で死んでいるとも聞いた。おまけに暴力集団は、恩赦で釈放された刑事犯の受け皿にもなっているらしい。実戦経験が少ないから地上戦ではひとたまりもない。そこで空から援軍招来となる。残酷な空爆はあたかも彼らの自壊を宣言しているかのようだ。1月末、軍事大学のある避暑地ピンウールィンで、通信研修校副校長(中佐)が将校と兵卒に訓示中、兵長に至近距離で撃たれて死亡した。かん口令が敷かれたらしいが、兵舎にモヒンガーのにおいは漂っただろうか。
 政権簒奪2周年を迎えた2月1日、路上から通行人が消えた。国民がサイレントデモを実施したのだ。翌日のフェイスブックには人っ子一人いない町々の風景が流れた。一方暴力集団は大規模なデモを計画した。日当で参加者を募っているとの噂も流れた。しかし当日ヤンゴンでは、暴力集団派僧侶を先頭とした百名にも満たないデモしか見られなかった。
 2日、彼らは非常事態宣言を6か月延長して戒厳令を37郡に発令し、うち24郡に夜間外出禁止令を出した。そんな地域でも戦闘は続き、12日の祝日・連邦記念日にはデモも見られた。なおYouTube「本日のモヒンガー」では、山間風景をバックに暴力集団の地域別死者数とその合計が連日流れてくる。2月11日は合計100食、12日は26食だった。
 

 


 

南田 みどり(みなみだ みどり)=1948年兵庫県に生まれる。大阪外国語大学外国語研究科南アジア語学専攻修了。大阪大学名誉教授。同外国語学部非常勤講師としてビルマ文学講義も担当中。