平穏な日常

2023年2月1日

 悲劇が日常になっているこの国に「早く平穏な日々が訪れてほしい」と、ある日本人ジャーナリストが書いていた。いささか考えさせられた。かつてこの国に「平穏な」日々というものが存在しただろうかと。
 1948年1月4日の独立後ほどなく、長期にわたる内戦が始まった。国土は政府軍支配下の合法地帯と、反政府軍支配下の非合法地帯に分断された。3月に白旗共産党(共産党主流派)が、7月に人民義勇軍(ビルマ軍再編時の除隊者から成る私兵組織)の一部が蜂起し、49年1月にはカレン族の、2月にモン族の武装組織などが蜂起した。反政府軍は消長を重ねたが、対する政府軍は増強の一途をたどり、1962年から権力を握った。そして彼らは、2021年2月1日に違法な政権簒奪をやってのけ、利権的暴力集団の素顔をさらけ出した。
 1988年の民主化闘争で銃口が自分たちに向けられるまで、「国軍」が平穏な日常を守ってくれていると思い込んでいた合法地帯の住民も少なくなかった。しかし地続きのどこかで戦闘が起こり、避難民が発生し、悲劇が繰り返される多民族国家の分断社会で、平穏な日常はいかなる時代にも幻想に過ぎない。地続きであれ、海の向こうであれ、どこかで生じる悲劇を他人事だと思っていると、早晩自分たちにお鉢が回ってくる。
 たとえば2017年のロヒンギャ大量流出事件だ。大多数の合法地帯住民は、ロヒンギャが「不法越境者」だという「国軍」のプロパガンダを信じ、その暴力行為にも沈黙を守った。今回、ビルマ族が多数居住するザガイン地域で、国軍という名の暴力集団の焼き討ちや空爆から逃れようと、荷物を頭に載せ、あぜ道を一列でたどる人々を見て、奇妙な既視感にとらわれた。それは、ラカイン州からバングラデシュ目指し、水路沿いの細い地道を避難するロヒンギャたちの長蛇の列に酷似していたのだ。不幸の元凶を絶たない限り、明日は我が身だ。
 さて今年の独立記念日、予想通り恩赦があった。7012名の釈放者のうち政治囚は一説に400名余という。その中に女性作家T2(70歳)の姿も見られた。市井の人々の悲喜こもごもを描いて定評があった彼女は、2002年度国民文学賞を短編集部門で受賞していた。1995年だったか、詩人Lともども中華料理店でご馳走になった。彼女は夫と早くに死に別れ、市場で漬物屋兼仕立て屋を営みながら、老親と二人の娘を養っていた。同席した彼女の父は、日本占領期に居住地の南部モン州で、連合軍の飛行機が撒いたビラを拾った少年を日本軍がスパイの嫌疑で逮捕して殺したと語った。父が日本占領期を語ったのは初めてだと、T2は驚いていた。その後、彼女はボランティア活動で持ち前の気っ風の良さと指導力を発揮し、2015年から政府の要職にあった。在職中から過労が目立った。2021年2月に拘束されて以来、刑務所生活に耐えられるか案じていた。この機会に骨休めがかなうだろうか。
 同じ1月4日、最南端のタニンダーイー地域ベイ刑務所の釈放者は253名。うち60名が政治囚だった。釈放者名簿に名が掲載されていたある政治囚は、囚人服から平服に着替えて手続きを待っていたとき、再告訴され再逮捕された。彼は公立病院勤務医で、CDM(市民的不服従運動)で職場放棄し、2021年4月に逮捕されていた。また、昨年11月の恩赦で釈放されてオーストラリアに帰国したアウンサンスーチーの経済顧問ショーン・ターネル氏には、1月6日に恩赦取り消しが宣言された。不可解な恩赦余話はそれだけではない。
 エーヤーワーディー地域パテイン刑務所では5日、死刑囚のCDM教員が虐待され、それに抗議した政治囚8名が監房から連れ出されて長時間暴行を受けた。6日朝、7名が独房に移されたが、1名は所在不明だった。約70名の政治囚が、7名を独房から出して不明者の所在も明らかにするよう当局に要求した。警官隊が出動して発砲し、1名が死亡、多数が負傷した。以後抗議者には日に一食しか与えられず、差し入れは1か月禁じられた。11日には内務大臣が同刑務所を視察に訪れ、「暴動鎮圧」の栄誉を称え、刑務官たちに各自5万チャットの報奨金を与えた。14日、64名の政治囚が騒乱罪で再起訴された。19日、所在不明者は独房に収監されていたことが判明した。
 さて、昨年の独立記念式典には外国から来賓があったが、今年はロシア、カンボジア、ネパールが祝辞を送るにとどまった。支配者の玉座が揺らぐおりしも、暴力集団は「やり直し選挙」のための国勢調査を1月いっぱい続ける。調査中に逮捕される人々も増加している。そして1月17日のBBC(英国放送協会)は、国連ミャンマー問題特別諮問評議会が、暴力集団使用の武器の部品は日本を含む13か国45企業から輸入され、武器製造工場の機械はドイツ、日本、ウクライナ、アメリカ製であると報告したことを伝えた。

 


 

南田 みどり(みなみだ みどり)=1948年兵庫県に生まれる。大阪外国語大学外国語研究科南アジア語学専攻修了。大阪大学名誉教授。同外国語学部非常勤講師としてビルマ文学講義も担当中。