懲りないもの書きたち

2022年10月3日

 もの書く人びとは、国軍という名の利権的暴力集団の違法な政権簒奪が生じた昨年2月以来沈黙の海に沈んでいるのか。そういうわけでもなさそうだ。以前には及ばないが、フェイスブックでは新刊書の宣伝や作家による読後感も流れてくる。
 昨年6月、作家M(39歳)が『東京デカダンス』を翻訳したから序文を書いてくれといってきた。同書は2015年にアメリカで出版された。村上龍が1980年代から90年代に出した3冊の短編集から15編を収める。我が国では1992年に、収録作の「トパーズ」を改変した同名の映画が公開されただけだ。日本語版は出ていないようだ。
 2012年の検閲解除後、文学界は翻訳の健闘が目立った。Mも村上春樹の『ノルウェイの森』(1987)を2012年、『ねじまき鳥クロニクル』(1994/95)を2014年、『海辺のカフカ』(2002)を2015年に翻訳出版した。村上龍の『ピアッシング』(1994)『オーディション』『インザ・ミソスープ』(ともに1997)は、作家T(48歳)が2019年に翻訳出版した。Tは公務員だ。政権簒奪事件後もCDM(Civil Disobedience Movement市民的不服従運動)に加わらず、仲間の批判の中で要職に留まった。当分は書けないだろう。
 わたしの「序文」は長文になり、「解説」として巻末に収まった。おすすめ作品として村上の近未来小説『半島を出よ』(2005)を紹介したのだ。「高麗遠征軍」占領下、孤立無援の福岡市で、社会から疎外された少年たちの集団を詩人が指導して遠征軍を壊滅させる。少年たちの捨て身の闘いは、暴力集団に挑むPDF(人民防衛隊)を彷彿とさせる。本は昨年11月に無事出版された。ただ現物を手にするのは、先のことになりそうだ。
 今年2月に入ると、詩人O(57歳)も詩集の序文を依頼してきた。「もっと適切な人に書いてもらって」と、いったん戻した。だが、「Lも死んだし、他にいないので」と食い下がられた。亡き詩人Lの身代わりとなれば、いたしかたない。引き受けた。もらった詩集も4冊ある。Oが1987年から2020年に書いた100編余の詩を収めた原稿も届いた。
 Oはザガイン地域ミャウン郡の生まれだ。親は普通の農民で、詩とは縁遠い環境に育った。しかし、彼は大人になったら詩人になると決めていた。村の小学校から中学校へ進んだのち、ザガイン市やマンダレー市の僧院で修業した。10年ほど前にLから紹介されたとき、Oはすでに還俗して家庭を築き、詩集を出し、雑誌編集にも携わっていた。夢を実現させたのだ。序は5月に送った。しかしその後、何の音沙汰もない。
 ザガイン地域内部にはNUG(国民統一政府)解放区があるが、周縁は暴力集団の攻撃が続く。8月末で2万戸あまりが焼失した。ミャウン郡も例外ではない。エーヤーワディー河沿いにあり、マンダレー地域にも近い。8月31日、避難所が砲撃され、住民2名が死亡、3名が負傷した。9月2日、暴力集団兵士3名とPDF隊員1名が戦闘で死亡した。3日から4日にかけ南部の村に暴力集団が侵入し、村人多数が逮捕され、1名が暴行され負傷した。五千余の住民が村を棄て、避難した。7日、河を遡る軍用船2隻がPDFの攻撃で沈み、暴力集団兵士12名が死亡した。22日、暴力集団が侵入した村で村人1名が殺され焼かれた。人情家のOのことだ。救援に奔走する日々なのかもしれない。
 9月16日、ミャウン郡から90キロ北方のディベイン郡の小学校が、軍用ヘリに機銃掃射され、子供7名大人6名が即死した。その後地上部隊が発砲しながら侵入した。やがてヘリから降下した部隊が地上部隊をPDFと間違え、一時銃撃戦が起こったという。学校がPDFの拠点だとの誤情報による作戦だったらしい。それだけではない。治療すると称し、彼らは負傷したボランティア教員2名と子供17名と人質の村人6名の計25名を連行した。遺骸まで持ち去った。25名の消息は不明だ。暴力集団はカレン州で重要な拠点を制圧され、ラカイン州では脱走兵を多数出している。凶猛と組織の瓦解が表裏をなすかのようだ。
 出版界にも暗雲が立ち込める。先日も「猥褻文学」を出版したとして、ある出版社が閉鎖された。また8月のある文学関係の式典で、暴力集団トップが「NLD(国民民主連盟)政権下で出版された文学は猥褻作品ばかりだ」などと語る姿も放映された。
 しかし、もの書く人びとの懲りない魂は驚異的だ。9月に詩人S(45歳)がビルマ語・英語・日本語で詩集を出版したい、日本語に訳してくれと頼んできた。ファイルを送ってもらったが、なかなか開かない。どうやら本人は潜伏中で、実務は若い者に任せているらしい。1週間後まともなファイルが届いた。そういえば先般も、潜伏中の作家K2の新刊の宣伝がフェイスブックで流れた。シェアしたら、礼を言われたことも思い出された。

 


 

南田 みどり(みなみだ みどり)=1948年兵庫県に生まれる。大阪外国語大学外国語研究科南アジア語学専攻修了。大阪大学名誉教授。同外国語学部非常勤講師としてビルマ文学講義も担当中。