囚人服に絵を描いた男

2022年9月5日

 国軍という名の利権的暴力集団は、フェイスブックの代替物の導入も考えているが、今のところ成功していない。投稿者はめっきり減ったが、わたしのシェアを期待して、大切な記事をメッセンジャーで送ってくれる友達もいる。元医師Eもその一人だ。交通至便な街中を離れ、夫と某所に避難している。先日彼女から届いた記事は、翌日日本の朝刊の片隅にも載っていた。2002-06年に駐ミャンマー英大使を務めたビッキー・ボウマン(56歳)が、8月24日夜ミャンマー市民の夫とともにヤンゴンで拘束され、インセイン刑務所へ送られたのだった。
 夫のテインリン(55歳)は高名な画家だ。エーヤーワディー地域北部のインガプー市出身で、1988年の民主化闘争挫折後、武装革命を目指して学生仲間とジャングルへ逃れた。しかし、解放区も理想郷ではなかった。少なからぬ学生が、スパイの濡れ衣で処刑された。テインリンは仲間と脱走し、ヤンゴンに舞い戻った。大学で法律を学ぶ傍ら俳優や創作で食べていたが、1999年に当時の友人とともに逮捕された。6年半服役した。
 獄中でも多くの暴力に直面した。彼は、白木綿の囚人服に密かに絵を描き始めた。粉末コーヒーなど入手可能な素材を駆使し、描いては隠し、協力者が運び出した。出獄後、彼はビッキーに見いだされ、その作品は国際的に紹介され、二人は結婚した。一時ロンドンに住んだが、10年前からヤンゴンに活動拠点を移した。ビッキーは「ミャンマー事業責任センター」を主宰した。獄中で瞑想をマスターしたテインリンは、出獄後もインセイン刑務所で囚人向け瞑想講座を開いた。芸術と精神世界を結合させた彼の絵は、解放区や刑務所での不条理を凝縮した白木綿の上の小さな世界から、豊穣な宇宙観に満ちた大世界にまで広がった。
 ところで、わたしの書棚にはずいぶん前から1冊の英語書籍がある。『マンダレーへの道 ~普通の人々の物語』(1996)という。原書は、ミャタンティン(1929-98)が1987年から91年に雑誌『カリャー』に掲載した短編35編を1993年に二分冊で出版したものだ。言論統制が強まった1975年を境に彼は小説の筆を断ち、翻訳家に転向した。同書は彼の短編作家再起記念作品集となった。その英語版の見開きに、2名の翻訳者のビルマ名が記される。2名ともビルマ人だと思い込んでいたが、そのひとり「オウマーキン」がビッキーのビルマ名であることを今回知った。
 夫妻は、コロナ感染者が急増した2020年に、ヤンゴンを離れてシャン州の避暑地カローの自宅に住んだ。ビザ延長申請時の届け出住所がヤンゴンだったので、出入国管理法違反に問われた。テインリンの容疑はそのほう助だった。彼らの一人娘には現在のところ累は及んでいない。9月1日、刑務所内の法廷は夫妻にそれぞれ1年の懲役判決を言い渡した。
 この事件は、暴力集団の政権簒奪後英国との間に生じた軋轢を反映する。暴力集団は、アウンサンスーチー解放を求めた駐英ミャンマー大使の引き渡しを要求したが、英国は応じなかった。一方英国が任命した駐ミャンマー英国臨時大使の入国を、暴力集団は拒否した。英国が暴力集団トップのミンアウンラインの長男が所有する建設会社ならびに暴力集団系の二社を制裁の対象とした日、夫妻は逮捕された。暴力集団はこの稀代のカップルを格好の「外交カード」として、利用のタイミングを虎視眈々と狙っていたのだろう。
 拘束中の外国人は、アウンサンスーチーの経済顧問でオーストラリア人経済学者ショーン・ターネル氏と日本の映像ジャーナリスト久保田徹氏に続き、ビッキーで3人目だ。8月12日、自民党衆議院議員がミンアウンラインと会見し、15日に自身のフェイスブックで、訪問の最大の目的は久保田氏即時解放に向けての直談判だと大見得を切り、近日解放の確約を得たと豪語した。さらに彼は、物価高騰や爆発で不穏なヤンゴンやマンダレーを「現況は平穏」と語った。久保田氏16日釈放・強制国外退去という噂も飛んだ。17日に暴力集団報道官は、16日に非公開で久保田氏の裁判をおこない、さらに追加の訴追も検討中だと述べた。彼らにとって日本の国会議員を虚仮にするなど造作もないことだったのだ。
 一説に2021年1月から2022年7月末までの戦闘の死者は、暴力集団16274名、人民防衛隊379名、少数民族軍80名。暴力集団はザガインやマグエー地域の村の焼き討ちを続けるが、東部カレン州や西部ラカイン州では苦戦中だ。7月中の離脱兵は8千名余ともいう。
 さて久保田氏は、観光ビザで入国してデモを撮影し、出入国管理法違反に問われたが、観光ビザで45回入国したわたしは?みっちりと観光できたろうか?記憶さえおぼろなまま、現在に至る。(知人名は実名を表示しないが、物故著名人はその限りではない)

 


 

南田 みどり(みなみだ みどり)=1948年兵庫県に生まれる。大阪外国語大学外国語研究科南アジア語学専攻修了。大阪大学名誉教授。同外国語学部非常勤講師としてビルマ文学講義も担当中。