「風景」の陰に

2022年5月30日

 

 2021年2月のミャンマー国軍による政権簒奪事件に続き、8月にタリバンのアフガニスタン全土掌握、そしてこの2月のロシアによるウクライナ侵攻などで、ミャンマー報道は減少の一途をたどっている。しかしミャンマー不服従の民は、ウクライナとの連帯も掲げながら闘いを続けている。ウクライナが、最近までロシア同様ミャンマー国軍に武器を輸出していたのも意に介さずである。
 「市民的不服従へのオマージュ」と銘打ち、『ビルマ文学の風景―軍事政権下をゆく―』を出したのは、昨年3月だった。ちょうど、国軍という名の利権的暴力集団が平和的デモへの弾圧を強化し始めたころである。その後の暴力集団の狂奔と不服従の賢者たちの自衛的闘争の展開には、目を見張るものがあった。それらも含めてこの便りでは、同書で書ききれなかった2013年以降の旅の風景や、SNSへの投稿から見た現在の文学的風景も綴りたい。
 2021年2月1日早朝、詩人Lからメッセージが入った。「権力簒奪」と。ビルマ語文は主語の省略が多い。妻と家庭内権力を争ったか?いや待てよ。軍はここ数日「クーデター」を匂わせていた。となると、、、すぐに対応すべきことがあった。
 わたしの5冊目のビルマ語書籍が出版寸前だった。2016年にわたしはLと出版社を立ち上げた。2020年3月の45回目の訪問時に4冊目が出た。次は文学系以外をという声を受けて、様々な民族の女性の手記集を印刷所に渡して帰国したのだった。その後コロナ禍で書店は閉まり、書籍出版も停滞した。11月に総選挙でアウンサンスーチーのNLD(国民民主連盟)が圧勝したので、そろそろ本も出そうかと動き始めた矢先だった。暴力集団の監視下でそれが世に出れば、多数に上る執筆者はおろか、印刷所を営む詩人Mにも累が及ぶ。即刻取った行動は、原稿を印刷所から引き揚げて隠しておくようLに指示することだった。
 Lとは1995年以来のつきあいだった。ガイドの免許を持ち、運転もできる。一度訪れた作家の家は必ず覚えている。必要な資料は取り揃えて送ってくれる。1999年からはヤンゴン市内のみならず、地方回りにも同行してもらった。よく故障する中古のサニーで山を越え、増水の街道を徐行した。冷房は効かず、乾季は荷物も人間も窓から入る土埃にまみれた。
 『ビルマ文学の風景』の2章以下で綴った旅の風景の陰には、常にLの存在があった。ときにLは、家族ぐるみで旅を支えてくれた。たとえば、1998年8月の不穏な情勢下のデルタ行きだ。デルタ出身の女子学生が親の反対で同行を断念したので、急遽Lの妻とその兄と1歳半になる彼らの娘とで出発した。外人の泊まれる宿がないので、わたしの素性を伏せて妻の遠縁の家に厄介になった。夜中に当局が宿泊調査に訪れ、届け出のない宿泊者が逮捕された時代である。翌朝Lは言った。「夜中に踏み込まれないか心配で、まんじりともしませんでしたよ」と。当のわたしは旅の疲れで熟睡していたのだった。
 Lは進境著しい詩人であった。1997年から雑誌に掲載された詩は、内容形式共に進化を重ねていた。2013年にわたしの序文入りで二冊目の詩集を出してのちは、もっぱらフェイスブックが発表の場だった。詩壇と距離を取り、元同級生で大学教員の妻の地方勤務に同行することが多かった。少数民族地域の大学教員宿舎で暮らすようになってからは、少数民族女性の視点で詩を書き始めていた。暴力集団の政権簒奪後、妻は職場放棄して不服従運動に入った。息詰まる潜伏生活で、Lは妻の支えとなった。
 2022年1月21日、パソコンに文字が飛び込んできた。Lの娘からだ。「脳梗塞」と読めた。一体誰が?メッセージを開けた。「父が昨夜苦しみだし、明け方病院へ運んだけれど、車中で亡くなっていました」。3月で51歳になるはずだった。前々日に夕飯の写真を送り合ったのが最後だった。魂の入れ物である肉体が悲鳴をあげたのか。エリザベス・キュブラー=ロスの『死ぬ瞬間』によれば、魂は最も立ち去りたいとき肉体を離れるという。Lの魂は、彼の詩さながら破格の生を駆け抜け、潔く幕を引いた。Lらしい終わり方だと、妙に納得させられた。早くも、一週間後に手製追悼詩集が出た。詩人仲間も彼を愛したのだった。
 夫の突然の旅立ちに、妻の嘆きは尋常ではなかった。娘の頼みで、わたしはグリーフケアに努めた。ようやく4か月。出版社は彼女が継承する。車は息子が運転し、次のわたしの旅は一家で支えてくれる。そういう話が出始めた。もちろん旅の再開は、暴力集団が解体され、真の連邦国家が連邦軍を創設してからの話になるだろう。(緊迫する情勢に鑑み、本稿は実名を出さずイニシャルの一部のみを表示する。なお、Lには今後も登場の機会を与えたい)

 


 

南田 みどり(みなみだ みどり)=1948年兵庫県に生まれる。大阪外国語大学外国語研究科南アジア語学専攻修了。大阪大学名誉教授。同外国語学部非常勤講師としてビルマ文学講義も担当中。